「失敗を成功に変える力」

表彰活動

コンクール in 岡崎 第15回「徳川家康公作文コンクール」

家康賞(優秀賞)

「失敗を成功に変える力」

岡崎市立竜美丘小学校6年  野田 一翔 

岡崎公園の池の近くに石像がある。足を組み、困ったような顔をして遠くを見ている武将の石像だ。ぼくはずっと、この人は一体だれだろうと思っていた。この貧弱な武将の石像は、一体何なのだろうと。

六年生になり歴史の勉強が始まった。ぼくは地元の英雄徳川家康のことを知りたくなり、家康の本を読んだ。そしてこのなぞの石像の正体がやっと分かった。

この石像の正体は家康だった。これは「しかみ像」という家康の肖像画を元に製作された石像であることが分かった。

家康の肖像画といえば、ギロリとした勇ましい目つきの武将を想像するだろう。しかし、この「しかみ像」の家康の目には光がなく、まるで助けを求めているようだ。左手はげっそりとしたほおに当て、ぼんやりとしてとても情けないすがたである。

「しかみ像」は、三方ヶ原の戦いで無理な戦をし、大敗した家康が同じ失敗をくり返さないという戒めをこめて絵師に描かせたものである。最近になって、この「しかみ像」は、実は家康が描かせたものではないという説も出ているらしい。でもぼくは、戦に負けた情けない自分のすがたをあえて描かせ、生がい手ばなさなかったという従来の説を信じたい。その方がずっと家康らしいからだ。

家康の戦で有名なのは、何といっても天下分け目の関ケ原の戦いだろう。だがぼくは、この三方ヶ原の戦いこそ、家康を大きく変えて、天下人への道を歩ませた戦だと思う。

家康は「しかみ像」を描かせることにより、戦に負けた悔しさや逃げ帰ったはずかしさを、「二度とこのような失敗はするものか」という決意に変えたのである。つまり三方ヶ原の戦いは、無理な戦いをせずに時が来るまで待った方が良いという、武将としての教訓につながったのだ。

「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」家康の人生を表したこの句は、だれもが一度は聞いたことがあるだろう。家康は、鳴くまで待たずに戦場に出て大敗した三方ヶ原の戦いでの深い反省から、鳴くまで待つ冷静さやがまん強さを身につけたのだ。

もしぼくだったらどうだろう。負け戦なんて恥だと思い、勝ちたい思いだけで再び戦に出ていたかもしれない。そしてそこで、命を落としていたかもしれないのだ。仮に命からがら逃げ延びたとしても、自分のまちがった判断による負け戦のことなんて思い出したくない。自分の情けないすがたを描かせるなんてもってのほかだ。そして失敗を教訓として生かすことができず、たくさんの家臣がぎせいになる悲劇をくり返すだろう。残念ながら、ぼくの場合は「鳴くまで待つ」ことなく、ホトトギスの鳴き声を聞けないまま命を落としてしまうに違いない。

失敗はとり返しのつかないものだ。でも失敗の原因を見極めて、どこが間違っていたのか冷静に分析し、次に生かすことこそ成功への近道だと思う。三方ヶ原の戦いでの失敗、そして「しかみ像」の反省がなかったら、ホトトギスが鳴くまで待って、天下を取った家康は存在しなかったかもしれない。この「失敗を成功に変える力」こそが家康の強さであり、み力であるとぼくは思う。そして、そのみ力にひかれて家臣がやってきて、それが三河武士団の強さにつながったのではないだろうか。

もう一度、「しかみ像」の石像の前に立ってみる。貧弱で助けを求めているようだと思っていた家康の目に、今度は自分の落ち度を反省し、次なる作戦を立てているような力強さが見えてくる。そして、失敗を成功に変えて、いつか天下を取ってやろうという、気迫に満ちた光が見えてくる。

家康と同じ三河岡崎に生まれてきたことを、ぼくは誇りに思う。