第17回「德川記念財団コンクール」家康賞大場

表彰活動

コンクール in 岡崎 第17回「徳川家康公作文コンクール」

家康賞(優秀賞)

厭離穢土 欣求浄圡 大樹寺を訪ねて

岡崎市立井田小学校3年  大場 創蒔 

 大樹寺の三門から真っすぐ前を見ると、真ん中に岡崎城が小さく見えます。

 ぼくは、戦国武将カルタが大好きで家でよくやります。カルタに出てくる徳川家康が、ぼくと同じ岡崎生まれということを知り、興味を持ちました。

 家康は、3才の時にお母さんとはなれ、人質になり、生まれた岡崎とてき同士の戦いにまきこまれてかなしい思いをしました。

 大樹寺の本でんに、「厭離(えんり)穢土(えど) 欣求浄圡(ごんぐじょうど)」というむずかしい漢字で書かれた物がありました。

 「戦いをなくして、みんなが平和にくらせる世の中に」という意味の思いがこめられているそうです。

 家康は、おけはざ間の戦いに負け、死ぬしかないと思った時、大樹寺のお坊さんにこの言葉を言われ、思いとどまったそうです。

 戦国武将カルタにも、「ほととぎす 鳴くまで待った 天下取り」とあります。がまん強く、チャンスがくるまであきらめない人だったのかなとも思いました。その時の気持ちが、戦国時代を終わらせて、265年も続いた江戸時代をつくったのかなと思いました。

 大樹寺の宝物(ほうもつ)殿(でん)には、松平家・徳川将軍家の等身大の位はいがありました。身長や年れい、そして政さくなども説明されていて、とても興味を感じました。

 戦国時代を終わらせた家康。江戸時代最後の15代将軍、慶喜。265年続いた徳川政治が終わって明治時代になった時、家康はどう思ったのだろうと考えました。その時、ぼくの頭に「厭離穢土 欣求浄圡」の字がうかびました。家康は、平和を願って戦国時代を終わらせて、江戸時代をつくった人です。きっと、明治時代も「厭離穢土 欣求浄圡」の世の中になると信じて、はく手をして応えんしていたと思います。

令和時代になったけど、「厭離穢土 欣求浄圡」は、今も大切な言葉だと思いました。