第19回「德川記念財団コンクール」德川賞服部

表彰活動

コンクール in 岡崎 第19回「徳川家康公作文コンクール」

德川賞(最優秀賞)

もう武器は必要ない、花火にこめた家康公の思い

愛知教育大学附属岡崎小学校6年  服部 悠希 

ヒュー、ドーン。

暗い空がいっきに明るくなりました。

今年、3年ぶりに岡崎の花火大会が開さいされました。新型コロナウイルスの影響で、去年とおととしは中止でした。家族みんなでこの日を待っていました。私は大切にとっておいた浴衣を着させてもらいました。花火を見ることができてお腹がすいているのを忘れるぐらいうれしくなりました。

私が大好きな花火、実は徳川家康と関係がありました。日本で一番最初に花火を見たと言われているのは家康だそうです。「駿府政治録」という本によると、1613年、駿府城で生活していた家康は、イギリスの使節に会います。そこで、同行していた明の商人がつつに火の粉が入ったものを家康に見せたという記録が残っているそうです。それが日本で最初の花火とされています。家康は、その時どんな気持ちだったのでしょう。70才を過ぎていたけれども、メガネや時計など外国のめずらしい物が好きだったので、きっと花火も気に入ったのだと思います。

戦いの時代、家康は、火薬や鉄砲の力をよく分かっていて武器として上手く使ってきました。1600年、関ヶ原の戦いで勝利した家康は、天下を統一しました。そして平和な世を目指しました。それで武器の鉄砲は必要ないと考え、全国に鉄砲製造の禁止をします。しかし、自分の出身地、三河だけには火薬の原料になる硝石の採掘を許可していました。万が一のために、自分を守るためだと思います。花火を見た家康は、同じ火薬を平和に使うことができると知り、三河の鉄ぽう隊に花火作りを命じました。それで、三河は日本花火発祥の地の一つだと言われています。つまり、日本の花火は武器から平和への生まれ変わりだということです。

私は、岡崎公園に三河花火発祥を示す石ひがあることを知り、見に行きました。今まで何回も岡崎公園に行ったことがあるけれども石ひがあることは知りませんでした。石ひは、竹であんだつつに職人が火薬をつめる様子が示された像でした。お城には、家康の子供の頃の「竹千代」や産湯の井戸、家臣など家康に直接関係ある像があります。その中で、花火の石ひがあることは、それだけ家康や、私たち岡崎の人々にとって花火が大切なものなんだなあと思いました。

花火にはたくさんの願いをこめて打ち上げられます。その中でも今年は特に二つの意味が大切にされていると思います。

一つは、「疫病退散」です。今、コロナの感せん者が急げきに増え続けています。コロナの中でも開さいされました。少しでもみんなが花火を見て、大変な中だけれども、前に進んでがんばろうという意味がこめられているのではないかと思います。私は花火を見て、つらいことも乗りこえていこうという気持ちになりました。

もう一つは、鉄砲を花火に変えたように、家康が目指した平和を願う意味です。今、ウクライナとロシアが戦争をしています。もう半年以上続き、家族を失った人もいます。日本では家康によって平和な時代が続きました。その後、外国と戦争をしたけれど、今は戦争をしないと決めています。鉄砲で打ってしまえば命はうばわれ、取り返しがつきません。鉄砲を花火にしたみたいに、人が悲しむことから、人が喜ぶことに変えてもらいたいです。

花火大会の日、浴衣を着ている人がたくさんいました。家康が広めた花火は日本の文化として根付いているのだと思います。

当日、ハートが三つの花火が見えました。

お母さんは、「変わった形だね。」と言っていたけれども、私には葵の紋に見えました。花火大会ができた感謝の気持ち、平和の大切さを教えてくれた家康に対しての花火だと思います。そして今、花火は平和だからこそ見ることができると思いました。