第16回「德川記念財団コンクール」家康賞松澤

表彰活動

コンクール in 岡崎 第16回「徳川家康公作文コンクール」

家康賞(優秀賞)

「今でも通じる家康公の精神」

岡崎市立竜美丘小学校6年  松澤 央都 

 ぼくは、岡崎城や三河武士の館に行って、徳川家康や三河武士たちについてたくさんのことを学びました。家康と同じ、岡崎で生まれたぼくは、忍耐強い家康を尊敬していました。なぜなら、ぼくは感情的になりやすいからです。怒られた時や、思いどおりにならない時は、いつも腹が立ちます。口答えすることだってあります。でもそういう時は、悪いと分かっているのにがまんができないのです。そして後から何であんなことしたんだろうと後悔します。そんなぼくは、岡崎城に行って尊敬している家康公のことを詳しく知って、はっとしました。家康は幼い頃、人質として過ごしていました。大人になっても、織田信長や豊臣秀吉などの権力者の下で不満一つ言わずに一生けん命働いていました。ぼくが家康だったら、逃げ出したり反逆したりして、結果天下統一なんてできずに殺されてしまったでしょう。でも家康は待ち続けて天下統一を果たしたのです。ぼくはその苦しい人質生活、服従生活を知って、今と当時では違うとはいえ、怒られたくらいで腹が立ち口答えする自分が何だかばからしく思えました。そして、改めて家康はすごいと感じました。家康の遺訓に

「いつも不自由していると考えれば、不満が生じるはずはなく」

という文や、

「堪忍こそが無事に長く安泰できる基礎で、怒りは敵と思いなさい。」

という文があります。家康はこの精神を持って、荒れた天下を統一したのです。

 また、家康は三方ヶ原の戦いで完敗した時に、惨めな自分の姿を絵師に描かせました。それがしかみ像です。ぼくは前までしかみ像を見たとき、何で家康はこんなまぬけな姿を描かせたのか不思議に思っていました。ですが、調べると失敗を忘れないようにし、自身を戒めるためだと分かりました。でも、人目につくところに置かなくてもいいのにと思いました。そういったわざと人目のつくところに置いて自分に厳しくするところも、ぼくとは違うので真似したいなと思いました。

 家康が天下をとれたのは、優れた部下に恵まれていたというのもあります。家康の家の松平家はおよそ千四百年頃に創立していて、そのため古くからの家臣もたくさんいました。そして、家康はこの古くからの家臣をしっかり従えました。織田信長のように荒々しい武将は、家臣の裏切りもしばしばありました。でも家康は家臣に裏切られることなどめったになく、とても信頼しあっていました。例えば、成瀬正成は、死ぬ直前、家康がまつられている日光東照宮に行きたいと、だだをこねたといいます。ぼくは、成瀬正成の忠誠心をとてもすごいと思いました。また、鳥居元忠は家康に天下をとらせるために自分からおとりの城の防衛を名乗り出ました。いくら尊敬する人であっても、ぼくはその人のためにおとりになって死ぬということはできません。家康の家臣にはこのようなエピソードがたくさん残っていて、ぼくはとても感動しました。

 歌に

「織田がつき羽柴がこねし天下もち座りしままに食うは徳川」というものがあります。信長と秀吉が苦労して統一した天下を、家康は楽々と手に入れたという意味です。でもぼくはそうは思いません。家康は信長や秀吉に仕えて、天下統一の手伝いをしたし、家康も天下を戦って手に入れたので決して楽はしていないと思います。そんな家康は常に世の中をよく保とうとしていました。ぼくもその精神を見習い、苦しいことにも耐えて広い心を持った人間でありたいと思います。