「家康公の魅力と御殿場」

表彰活動

コンクール in 静岡 第4回「徳川記念財団コンクール」

德川家康賞(優秀賞)

「家康公の魅力と御殿場」

御殿場市立御殿場小学校5年  石垣 遥之介

ぼくは、歴史に興味があり、特に戦国時代が好きです。

好きになったきっかけは、二〇一六年に放送された大河ドラマ「真田丸」です。主人公の真田幸村は、赤色で統一した「赤備え」の甲冑で、戦いも激しくかっこいいし、奇想天外な策で戦上手でした。それに比べ敵側の家康は、ずる賢くて地味なイメージが強かったです。

三年生になって、友達との間で歴史が流行り、学校の図書室でたくさん歴史人物の本を借りるようになりました。「家康」「井伊直政」「本多忠勝」を読むと、今までの印象と違う家康が描かれていて、面白い!家康の事をもっと知りたい!と思うようになりました。

ちょうどその頃、御殿場市で「徳川氏御殿造営四百年イベント」がありました。小和田哲男さんの講演を聞く事ができ、御殿場の地名の由来を知りました。一六一五年頃、徳川家康がこの地に御殿を築く事を命じたため、御殿が造営されたのですが、一六一六年に家康は亡くなってしまい、完成した御殿は使用する事ができなかったと言われています。「御殿のある場所」ということにちなみ、「御殿場」という地名が誕生したと学びました。

調べたところ御殿場は、家康の故郷である岡崎と江戸城の中間地点にあります。富士山系や箱根山系の影響で自然環境や水源がしっかりしているため、御殿場に造ったと言われているそうです。ぼくの住んでいる御殿場が、家康にとって重要な場所と知りうれしくなりました。

二〇一七年の大河ドラマ「女城主直虎」の家康は、信康や瀬名姫を愛し家族思いで、優しい人でした。信長に二人の切腹を命じられた時の家康の気持ちを思うと、かわいそうで仕方がありませんでした。こんな悲劇にも耐えられたのは、三才にして母と別れ、一三年もの間常に命の危険をともなう人質生活を送り、忍耐強さがついたからなのだと思います。

「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす」という川柳は、前から知っていたけれど、家康の忍耐強さを知ってその詩の意味がしっかりと理解できるようになりました。

徳川家康を知るにつれ、ぼくの家康に対するイメージがガラッと変わりました。

今までは、派手で強くて、頭がいい人がかっこいい!とぼくは思っていたけれど、本当は家康のような、優しく家族思いで、がまん強く人望がある人こそが、本当にかっこいいんだ!と思います。