第5回「徳川記念財団コンクール」家康賞藤島

表彰活動

コンクール in 静岡 第5回「徳川記念財団コンクール」

家康賞(優秀賞)

「水の大切さを伝え続ける家康公」

浜松市立可美小学校6年  藤島 智希

「今年の夏休みはプールに行くぞ。」

 小学生最後の夏休み。ぼくは、プールを思いっきり楽しみたいと思っていました。それは、最近二つの出来事があったからです。一つ目は、オーストラリアでホームステイをしたことです。ホームステイ先では、シャワーの時間は五分以内と決められていて、オーストラリアの人たちは、水をとても大切にしていました。二つ目は、タイに行ったことです。タイでは、水道の水を飲むことができなく、トイレを利用したら、バケツの水をひしゃくですくって水を流すという経験をしました。きれいな水が、いつでも、いくらでも手に入ることは、とても貴重なことだと、今、ぼくは感じています。そして、この想いをだれよりも強く感じて実行した人が、德川家康公だったのではないでしょうか。

 「水と家康公」といえば、江戸の上水道整備が有名です。人々がいつでもおいしい水を飲めるように、家臣の大久保藤五郎に命じて、小石川上水、のちの神田上水を造らせました。これが、今の東京水道の始まりだそうです。もう一つの有名なことは、利根川東遷です。水害の危険から人々を守り、豊かな農地を増やすために、家臣の伊奈忠次に命じて関東平野の治水事業を行わせました。しかし、これらの元となっているのは、家康公が水のおいしい駿府と、あばれ天竜を持つ遠江に住んだ経験があったからだと、ぼくは思います。安倍川の伏流水がある駿府の町は、きれいな湧水と、豊富な井戸水が多くありました。子供の頃においしい水を飲んでいた家康公は、江戸の人々にもおいしい水を飲ませてあげたいという気持ちになったのではないでしょうか。そして、遠江に住んでいた時には、家臣の伊奈忠次と在地の代官平野重定に命じて、天竜川から現在の磐田市まで、寺谷用水を造らせました。治水により、人々が安心して米を作り、笑顔になっていく姿を見ていたから、江戸に住んだとき、利根川東遷という大きな事業を命じたのではないでしょうか。そんな家康公が晩年住むことを決めたのが駿府でした。薩摩土手をはじめとする安倍川の治水、鯨ケ池からおいしい水を運ぶ駿府御用水、人々の生活を支え防火の役割もしていた駿府用水。家康公が成しとげたことは、今の私たちに、水の大切さを伝え続けています。

 ぼくは、今年の夏、近所のプールに十七回行きました。そのプールの水は、天竜川から引いた工業用水の三方原用水を利用したものです。プールに行けば、そこには友達がたくさんいます。きれいな水が、いつでも、いくらでも手に入ることは、とても貴重だからこそ、ぼくはその水で友達とめいっぱい遊び、水道の水をたくさん飲みました。きれいな水があるところに人は集まり、笑顔が生まれます。家康公が伝えた大切な水を、次はぼくたちが守っていきたいです。                               (了)