第6回「徳川記念財団コンクール」家康賞内山

表彰活動

コンクール in 静岡 第6回「徳川記念財団コンクール」

家康賞(優秀賞)

「家康公と久能山、平和の願い」

静岡市立清水第3中学校3年  内山 颯大

 僕は歴史が好きだったため、今までに多くの歴史に関する本を読んできた。その中には当然、徳川家康に関する内容があった。以前の僕はそれを読み、家康のイメージを「たぬき親父」や「地位や名声のための天下統一」と、あまり良い評価をしなかった。しかし、そのイメージは久能山東照宮を訪れたことによって変わった。

 一年前、学校の職場体験で久能山東照宮で仕事をした。まず最初に行った仕事は家康公の墓周辺の掃除だった。その時、掃除をしながら僕は「なぜ家康公は自分を久能山に埋葬してほしかったのだろう」と疑問に思った。静岡には久能山以外に山があるし、もっと言えば静岡県以外に江戸や岡崎など家康公ゆかりの場所があるのに、それでも久能山を選んだ理由が気になった。

 その後、久能山の宮司さんに久能山東照宮についての説明をしてもらった。その説明の中で一番心に残ったのが、東照宮が建てられた理由だった。東照宮建設を命じたのは家康公の息子の秀忠公であったが、家康公、秀忠公は平和の世が永遠に続きますようにという意味を込めて東照宮を建てたという。家康公は幕府を開き、天下泰平を成し遂げた。その後の日本の平和を願い、その象徴として久能山に家康公が神体となり、東照宮を建てたということだった。このことを知り、僕の家康公のイメージは大きく変わり始めた。また、日本の平和の象徴を静岡に造ってくれた家康公に申し訳なかったと思った。

 久能山には三体の像がある。天下統一の目前まで迫った織田信長公、日本で最初の天下人豊臣秀吉公、久能山の御神祭の徳川家康公だ。思えば信長公や秀吉公、戦国時代の大名たちが何故戦ったのかというと、天下統一、すなわち平和な世の中にしたかったからだと思う。その中で天下に王手をかけた信長公、天下統一に成功した秀吉公と家康公が大きく注目される。その中で家康公の成し遂げた天下統一は別格だと僕は思う。日本の朝廷、全ての大名を従え、完全な平和な世をつくった家康公は心から尊敬する。

 久能山での職場体験は最後に東照宮全体を見学して終了した。1159段の階段を下っている時のことだった。先ほど述べた久能山は天下泰平の象徴だということが完全に理解できた。職場体験の最後に見学した東照宮の誰もが息を呑む豪華さ、そして目の前に広がる美しい駿河湾。この二つの光景は世の中が平和でなければ絶対に見られない光景だと思った。そこで改めて家康公のの凄さ、偉大さが感じられた。

 僕たちの住む静岡県には徳川家康公に関する遺跡や場所が多くある。今回の事を機に、家康公についてもっと深く知りたい、学びたいと思った。また、自分たちの住む地域にはこれほど素晴らしい人物がいたのだという事を周りの人たち、更には次の世代へ伝えていきたいと思った。まだ早い話なのかもしれないが、これが自分たちがしていくべき大きな仕事だと思う。

                                         (了)