家康賞（優秀賞）

  ぼくは、一年生までイギリスに住んでいた。様々な土地から来た日本人に「どこから来たの。」と聞かれると、両親のまねをして「家康がうまれた岡崎だよ。」と答えていた。すると「ああ、三河の国、岡崎ね。」と一度も岡崎を訪ねたことの無い人にでも瞬時に理解され、時には「じゃあ、大樹寺にいったことある？ 」と聞かれることもあった。

  現地校で自分の国を紹介する授業があると、ぼくは決まって岡崎城の写真をもたされた。城のおほりにかかる赤い神橋の上で写された母の花嫁道中の写真は、イギリス人達を魅了した。ぼくのお宮参りの写真に写る岡崎城も人気があり、これが将軍、家康の生まれた城だと説明すると、皆決まって写真を見直していた。
ぼくは家康公と岡崎の関係も歴史も知らないくせに大いばりだった。

  そんなぼくは、来年父の転勤で、また数年岡崎を後にすることになり、新天地でふるさとのことを聞かれた時、今度は自信を持って答えられるようにと、この夏、家康公ゆかりの史跡を訪ね、歴史の勉強をした。

  ぼくのお宮参りや両親の結構式にも写っていた岡崎城で、天文十一年竹千代（後の徳川家康）が産声をあげた。その朝、城の上に黒雲が渦巻き、金色の竜があらわれ、誕生を祝ったとの伝説もある。竹千代は人質となり、少年時代を他国で過ごすが、桶狭間の合戦の後、この岡崎城を拠点に天下統一の基礎を固めた。江戸に幕府を開いてからは、譜代大名にこの城を守らせた。以来岡崎城は「出世の城」とされ、大名は岡崎城主になることを誇りにしたといわれている。

  岡崎城の天守閣に立ち、殿様気分で街を見下ろしたぼくは、それでぼくのお宮参りも、すこやかに育つようにという願いをこめ、岡崎城内の竜城神社でやったんだなあと納得した。

  天守閣からは、地元で語り継がれているように、大樹寺が遠く正面に見えた。桶狭間の戦いの後、元康（家康公）は松平氏の菩提寺である大樹寺へ逃げ帰った。元康は時の住持登誉上人の教えによって失意絶望の危機から立ち直り、再出発の決意をした。織田勢に包囲された大樹寺の裏門に登誉は僧を率いて敵に対し、表門では祖洞了伝和尚らが元康とともに戦った。この時、祖洞和尚は七十人力という怪力で総門のかんぬきを持ち奮闘し、元康を救った。ぼくは、大昔この地で起きたドラマと傷ついた人々に思いをはせ山門の見える総門の下で静かに手を合わせた。

  三河地方は全国でも最も神社仏閣の多い所だといわれているが、ぼくの家のすぐそばにも八柱神社がある。お大の方が竹千代の武運長久を祈らせた大泉寺、清康とお久の方の墓がある随念寺も近い。いつも友達と待ち合わせに使ったり、かくれんぼをしたりする身近な場所が家康公と深くゆかりのある所だとわかり驚いた。特に随念寺の門に続く石段と両側の白いへいは美しく、境内は広く静かで明るい。本堂を越え、石段を登りつめ振り返ったぼくは、思わずあっと叫んだ。小高い山の上から町が一望できる。随念寺から家康公のお久に対する深い愛情が感じられた。今なお寺は隅々までがきれいで、家康公の思いが大切に受け継がれていることをうかがわせる。

  今年もまた、岡崎の花火大会がやってきた。おびただしい数のちょうちんで飾られた雅やかな船から手筒花火が光のシャワーになって川へ落ちる。ドーンと地響きを立てながら迫力のある花火が連発される。

  反乱や一揆に対し必要以上に神経過敏であった家康は、最も恐ろしい殺人武器である火薬、および、その主剤となる硯石の採取を幕府発祥の地である三河のみに限らせ、かつ製造貯蔵をも奨励した。家康公はふるさとの人々を心底信頼し、この地の人々もその秘法を守った。この特権が三河煙火の発生につながり、やがて徳川三百年の泰平の中で、煙火は軍事用から観賞用へと変化した。そして現在、平成生まれのぼくが壮大な岡崎の花火を見られるのだなあと思った。家康公も決して鉄砲を見たかったわけではない。平和な時代の花火を見たかったに違いない。岡崎の花火の中には、厭離穢土・欣求浄土と掲げ続けた家康公の夢とその歴史を支えてきた人々の人情が見えるようだ。美しい。

  この夏、史跡を巡り、本を読み、家康館で勉強して本当に良かった。人間家康公を身近に感じ、家康公やふるさとを誇りとしてきた人々の息遣いを肌で感じた。この岡崎でぼくは生まれた。ぼくには世界中のどこへ行っても、帰ってくる自慢のふるさとがある。この事実はぼくを勇気づけ、これから転校し、新しい生活がはじまるぼくの心の支えとなるに違いない。ぼくはこれから先、どこへ行っても胸をはって答えるだろう。

  「家康の生誕の地、岡崎の出身です。」と。