「家康公と三河武士との深い絆」

表彰活動

コンクール in 岡崎 第15回「徳川家康公作文コンクール」

家康賞(優秀賞)

「家康公と三河武士との深い絆」

岡崎市立常磐中学校3年  坂元 茉優 

私は岡崎に生まれ育ち、德川家康公については「生誕の地・岡崎」で、今日まで歴史文化に触れながら、より身近な郷土偉人として私が最も尊敬する武将です。

日本史が大好きな私は、歴史上たくさんの武将の中で、唯一戦国時代を終わらせることができたのがなぜ家康公なのかを、歴史書を読んだりして調べました。その中で最も印象に残ったのは、家康公が天下統一を進める中で、どんなに苦しい戦であっても必ずそばにいた、家臣(友)の存在です。

天下統一には、優れた才能と努力、人並み外れた強運が必要だと思いますが、家康公の人生最大の幸運は、なんと言っても素晴らしい家臣(友)に恵まれたことです。家臣達は忠義心に厚く、真っ直ぐで、家康公もそんな家臣達のことを信頼して、大切に思っていました。そんな家臣の中でも、最も自慢のできる家臣達がいました。代々岡崎から仕える「三河武士」です。とにかく忠義に厚く、屈強な軍団であったといわれています。家康公の像として有名な「しかみ像」の作成のきっかけとなった、三方ヶ原の戦いでは、武田信玄に敗走するも、家康公は悔しさのあまり戦う気持ちを抑えきれずにいました。そんな家康公を、家臣達は強引に馬に乗せ、浜松城へ連れて帰り、そして残った三河武士の家臣達は、必死で武田軍を食い止めました。この戦で逃げ出す三河武士は一人もおらず、ことごとく討ち死にしたといいます。この戦い以降、家康公は命を捨てにいくような危険な戦はしなくなります。裏切りや謀反が世の常とされたこの時代に、三河武士の熱過ぎるほどの忠義(信頼)が、家康公の命を救い、そして家康公をより成長させたこととなったと、私は思うのです。

私は今まで物事で失敗したり、思い通りにいかない事があると、つい下を向いたり、気持ちがなかなか前向きになれず、周りに迷惑をかけた事もありました。この二年間バレーボール部に所属した私は、体が小さく運動神経も決して良いとは言えませんが、最後の夏の大会では、常磐中学校初の県大会に、チームメイトと共に出場することができました。ポジションはセッターです。チームメイト全員でボールを繋いでいく熱い想いを、私は自分のできる精一杯のトスで、アタッカーへ上げていました。試合を重ねるにつれて、みんなの深い絆がチーム全員を一つにさせ、大きな力に変えていくさまに、私は団体競技の素晴らしさを経験させて頂きました。個の足りない力がチーム全員の信頼関係や絆を生み、一つの大きな目標に立ち向かうものと確信した時、私は何事にも、もっと前を向いて頑張ろうと思える心が持てるようになりました。本当にチームメイトに恵まれた二年間でした。まさに三河武士の精神でした。

最後に印象深い記述には、家康公が大大名になられた頃に、関白豊臣秀吉公にお宝自慢の一品を語る中で、こう述べたそうです。

「自慢の高価な物は持っていないが、私の為なら命を惜しむことのない家臣達が一番の宝物だ。」

自慢できる宝はいくつか持っていたと思われます。ですが、家臣達を大切に想う深い絆が、後の二百六十年もの長い間、戦争も内乱もない平和な江戸幕府を開く礎となったのではないでしょうか。

私は来春、高校受験を迎えます。周りから「受験生、受験生」と言われるようになりました。もっと受験が近づくと、理想と現実とのギャップに気がつき、不安になったりすることがきっとあると思います。その時、日本史で学んだ家康公と三河武士の絆のように、周りの友達や先生、家族との支えや励ましを原動力にし、この受験という私の戦を乗り切ろうと思っています。来年の初詣は、家康公が大きな戦の戦勝祈願をしたとされる伊賀八幡宮へ、私も戦勝祈願へ参ります。家康公に少しでも近づけるように、また家康公と同じたくさんの宝物がもてるように、周りの人に信頼される人間になりたいと、私は思います。